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「なぜふぐ文化が大阪に根付いたそのワケとは!」 [食]

 大阪人はふぐが大好きな県民性
があるようだが、そもそもなぜ大阪に
これだけのふぐ文化が根付いた
そのワケとは!
 実は、何度もふぐ文化の危機が
あったそうだが、その難関を乗り越えて
今も大阪人に愛され続けられている
大阪とふぐ文化とのカラクリとは!


 


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 ◎「大阪人はなぜふぐが大好きなのか!」

 そもそも大阪人は汁物が大好きで
ふぐが好まれていたのは、実はふぐは
いい出汁がでるからである

 大阪人にとってはいい出汁がでる
ふぐでふぐ汁を作って食べていたそうだ

 現在はふぐというと高級魚となって
いるけれども、昔は大衆魚だったようだ!


 ◎「大阪湾でもふぐが獲れていた!」

 その昔大阪湾では、イワシがよく
獲れていたそうで、そのイワシを目当て
にとらふぐが網の中に入っていることが
あったそうだ

 昭和30年代ごろはイワシの網に
混じって結構な数のとらふぐが紛れて
いたようである

 実は明治5年に大阪でふぐの強い
毒を理由にふぐの売買が禁止されて
一度大阪のふぐ文化が忘れさられて
いた時期があったようである!


 ◎「再び大阪にふぐ文化復活したワケ!」

 大阪のふぐ文化は、一度廃れたハズ
だったが戦後復活を果たしたのである

 その立役者になったのは大阪浪速区
のふぐ専門店「ずぼらや」であった

 創業は、大正9年で定食屋から
スタートをして、昭和23年に大阪の
条例でふぐの料理や販売が解禁となった
その翌年にいち早くふぐ料理を開始した
そうだ

 人気メニューがふぐ汁で、当時ふぐの
価格が1kg=10円ぐらいだった

 戦後すぐは食糧難であったため
安くて美味しいふぐは、大阪庶民に
よっての貴重なタンパク源となって
いたようだ

 さらに大阪のふぐ文化復活を
決定付けたのが「てっちり」である

 昭和36年ごろのづぼらやでは、
ひれ酒=150円、てっちり=130円だった
そうで、このてっちりを目当てに
お客さんが殺到していたそうだ

 ちなみに当時のとらふぐの消費量
の約6割が大阪で消費されていたようで
ある!





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タグ:とらふぐ
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